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外は嵐だった。刃物のようなつむじ風が窓を叩き、軋む音を立てている。 同じくして幾千もの雨粒も叩き付けられている。 俺の聴覚に非がなければ、どちらもすさまじいほどの轟音。 三半規管に与える衝撃は、部屋の片隅で止まったままのメトロノームより強烈だ。 もし今、道にバロック式の絵画を置いたなら、ものの三分で印象派の絵画に変貌してしまうだろう。 安物のキャンバスなら穿たれてしまうだろう。 俺は神殿側に建てられた『小屋』にいた。部屋で明かりをともしているのは卓上のランプのみ。 橙の光芒が机を照らしていた。光の先に、俺を女は机を挟んでソファに座っていた。 背を落として沈み込んでいるのではない。腰を浮かして軽く座っているのだ。 女は俺を睨んでいた。前傾姿勢のため、後ろで束ねた髪が肩を隠している。 「スドウ……。」 女はその二重瞼を二回閉ざした。 「必定なのかもしれない。」 カーキ色のブラウス。半袖で、女の細く肉のない腕が露わになっていた。 「残念だが、私に選択権はない。」 眉が不自然に揺らいでいる。俺は呼応するわけではないが、犬歯を強く噛み締めた。 控えめな照明の所為で女の顔には陰影がついていた。 しかし、歳の割に幼い顔には深い彫が見当たらない。 むしろ丸く印象的に付けられるグラディションは肌の若さしか表さない。 「選ばなければいけない。運命の時なのだから。」 女は眼を机の上に落とす。机の上には二つの黒光りする塊。L字状の裁判道具。 一方の銃身には、『森の番人』と、もう一方には『必中』という記号が馬の紋章とともに刻まれていた。 「この二丁のうち、片方には何も入っていない。でももう片方には……。」 「もし入っている方を引き当てた時は?」 女は冷静で、しかしながら気休めの微笑を浮かべた。 「そのときは……それもスドウの運命。これも私の運命。 すべては可能性でもない、蓋然的でもない、確実性によって定められた事象なんだ。 両方に閉ざされた未来と、開かれた将来が封じ込められているのは疑いようもない事実。 二丁のうち一つを選び向いた瞬間、その時点で何もかもが決定事項となってしまう……。 だから、そんな質問は無意味な事だ、スドウ。」 「だから、」俺は浅黒い机を見据えた。 「選んだ後にはもう決まった事だから無変化であるのか。 また、確率が二分の一の場合は選択権すら、金具の外れた洗濯バサミのようなものだというのか。」 「スドウ、確立は蓋然性を基とするんだからそれは誤謬だ。 正しく表現するなら定率だろう。」 いつもならあるはずのグラス、ブレンディの瓶。 今日の代わりに置かれているものは、どれほど熱を持っていないか。 人の手に振れたグラスと裁判道具ではぬくもりなど雲泥の差だ。 「じゃあ、一度おまえに一丁ずつ触れてもらおうか。」 「何をふざけた事を言っているのだ、スドウ。」 女はひどく眼光を尖らせ、俺の顔は視線で打ち抜かれそうになった。 「それで私の動揺を観察するつもりか。だが、そうはいかない。 私だって脳が無いわけじゃあないのだから。」 「いや……。」 俺は反駁しようとしたが、思いとどまった。 「何でもない。」 「いいか、この準備をしたのは私だからと言って、私は両方に入れるような卑怯な事はしてない。 何せスドウの選ばなかった方の引き金を引かなきゃならないんだ。 そんなことしたら……後片付けが大変だろう。」 女は幾分ヒステリックな笑いを俺に傾ける。俺の右耳から左耳に向かって笑いは通り過ぎていった。 やはり俺はもう一度机に目をやった。 「私だって、そのカーペットの上に液体が飛び散るのはイヤなんだ。 だけど、……仕方のないこと。もう、後戻りは出来ないんだ。」 俺はふと思いつき、女に訊いてみた。 「これを、手にとって確かめてみてもいいか?」 「ダメ。」 女は即答する。 「かすかな重みの違いで判別しようって言う魂胆か? スドウも色々な策を考えているようだけど、これはあくまでも確実性による選択なんだよ。 その確実性を狂わせるような行動は一切許すわけにはいかない。 スドウは口頭でどちらを手にとるか示すんだ。そして私とスドウはこの上に手を置く。 合図をして、同時に握り、一瞬でケリを付ける……。」 空気が希薄だった。酸素の含有量が少ないのか、二酸化炭素の含有量が多いのか分からなかったが、 「もう……何も言う事はないか?」 女が震えた唇で告げた。 色のない唇はこれから起こる結果がどちらであっても、それは喜ぶべきでない事を指し示していた。 俺も再び犬歯を噛みしめた。もう唾液は分泌されない。 頭の中では理解していても、脊髄はそれを飲み込めなかったらしい。 「最後の言葉なら……聴いておくぞ。」 俺の骨が、その言葉にゆがみ、軋んだ。 俺はこみ上げてくる深く、その上広い滑稽な感情を抑える事が出来なかった。 「そんな事が聴きたいのか? 俺がお前に告げたとして、お前にとって何事が起こるのだ? それより……お前こそ告げなくていいのか? 俺の耳は何時でも聞き入れる準備が出来ている。」 俺自身も失言と思ったが、撤回しようのないことは明らかだった。 女はじわじわと眼に水――それも塩分を含んだ水――をため、頬の上を伝わそうとしている。 「スドウには感謝……してる、」 女は顔を背けて、照明の当たらないところに顔を隠してしまった。 「それだけじゃない。スドウは私の心を、私の心を……。」 「もういい。」 俺は女の話を途中でさえぎった。 「俺が……悪かった。さぁ、もう……終わらせようか。 長くこの時間が続くと……俺の神経がどうにかなっちまうよ。」 「あぁ……」 女はうなずき、腕で眼窩の周りをこすった。 「スドウ……私はスドウが選んだ結果なら、何にでも従おう。」 「そうか……。」 俺は机に並んだ二つの裁判道具、『森の番人』と『必中』とを見比べる。 俺にさえ、どちらがどうなのか、まったく窺い知ることは出来なかった。 俺は戸惑ってはいけないのだ。決断しなければならない。 このまま続いたとしても、それは女を苦しめるだけであったから。 たとえ選んだ時点で全て終わっていたとしても、確実性――この言葉は百%と言う意味ではない。 九十九%は起こりうるが、万が一の場合も考えられると言う意味だ。 できるなら、この一%にも満たない小さな砂粒に、女の準備が完璧でなかったという結末に、何も起こらないという終局に、すべてを収束させたい。 俺は祈りながら、『必中』にそっと手を掛けた。 女はその瞬間、目を離さず、俺の方を――もしくは俺の瞳の奥だったのかもしれない――を見ていた。 「スドウ、……スドウの結論はそれなんだね。」 女の問いかけに俺は黙って首を縦に振った。 女も続いて、『森の番人』を手に乗せようとしたが、手は空中でうち止まる。 手が震えて、収まりがつかないのであった。 女の目の瞳孔が開いている。俺は女の手を握って、首を振った。 俺は女のたなごころを『森の番人』の上に押し付けた、痛くないように、やさしく。 「カウントは……俺がするか?」 女は引きつったのどを鳴らし、強く握り払うようにかぶりを振る。 「いや、いい。私が……する。」 女は呼吸を整えた。二人の運命はもうすでに決まっているのだ。 手は掛けられている。カウントはただの儀礼的な式典にすぎない。 心構えをつくるための猶予期間なのだ。 女は目をつむって、俺の顔を見ないようにしているようだった。 「……いくぞ。」 「……ああ。」 女は、ゆっくり息を吐いていく。 「三……。」 俺は銃身を強く握った。 「ニ……。」 俺は引き金に手を掛けた。 「一……。」 俺は軽く、徐々に力を込めていった。 「ゼロ!」 俺と女は一斉に銃を持ち上げた。 素早くこめかみに銃口をあて、引き金を――引いた! 俺の髪はぐっしょりと液体だらけになっていた。冷たい――何も感じないほど冷たかった。 頬を液体がどろりと伝っていく。銃口からは硝煙の代わりに残存した液体がぽたぽたとしたたっていた。 「く…、」 女は満面の笑みを浮かべた。 「く……くっくっく、ははははははは!」 女は人差し指の先をこれ見よがしに俺の方へ向けた。 「大当たりだな。」 「なぜに……こんなことをしなくちゃならんのだ……こんなおもちゃで。」 俺は水滴にまみれた『必中』型の水鉄砲を見た。銃身を覗くと、奥のほうからちゃぽちゃぽと水の音が聞こえた。 振ると、うざったいくらいの軽薄な音が俺の耳に反響する。 「それは、外は物凄い嵐だから、外に出たくないじゃないか。 だが、棚の中身は空っぽ。このままでは私達二人は飢え死にしてしまうだろう。 だから、誰かが買いに行かないと。自然の摂理。何の疑問の余地もないが。」 女はまだ少し笑いながら、逆に音を立てずに立ち上がった。 居間のドアの方へ近づいていき、壁を探った。 しばらくして、壁際のランタンが灯り、一瞬で部屋中は明かりに満たされた。 「この状況設定もばかばかしい……。」 俺はやれやれという風に水で濡れた頭を振った。 身体を起こし、ポールハンガーからコートを取ろうと女が突っ立っているドアへ向かう。 「私は何事にも雰囲気が大切だと思う。 この嵐の中じゃ、外へ出て行くにもそれなりの決心がないと嫌だろう。 だから、その決心がつくような、それも自然と無意識につくようなことがしたかったと言う訳だ。」 「そのおかげで、俺は何度吹き出しそうになったことか……。」 俺がドアを開けて、出ていこうとしたとき女の呼ぶ声が聞こえた。 俺は立ち止まり、振り向いた。 「あぁ、本物の『森の番人』は忘れるなよ。あと……スドウ、財布無しでどうやって買い物する気なんだ?」 女は財布の入った籐製の買い物篭を俺に投げてよこした。 俺は胸の上で上手く受け取り、しぶしぶ手に掲げた。 「この天気だと神殿は貸しきりみたいなものだぞ。 のびやかに悠々と買い物してきたら良い。」 「この……。」 俺はこの先に言いかけた言葉を飲み込んだ。 女はソファの上に戻って、俺の無様な姿を見ていた。俺はため息を吐き、耳を澄ませた。 もうこのままでは印象派の絵画どころか、やれシュールレアリスムだやれ難解派だ。 俺のお気に入りのコートですらコロンボのトレンチのようになってしまうのだ。 俺は憔悴しきったていたらくでドアを開け放ち、部屋を出て行った。 思い切りドアを閉めてやった。 もしかすると壊れてしまったかもしれないが、俺の知った事ではない。 「行ってらっしゃい、気を付けて。」 女の腹立たしい声が聞こえる。 こんな日でなければ、かわいらしく聞こえる日もあるが、今日は最低最悪である。 俺は玄関のドアの前に立つと、後ろ手でドアノブを回し、背中に体重を掛けてその重みでドアを開け放った。 外に出た瞬間、俺の身体はいきなり濡れやがった。 《了》 |
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隠しコメント (定番になりつつあり(笑) |