NO THING KILLS HIMSELF
(無空間の焦点)
『僕』は今から、君にある話をしようと思う。
君にとっては、おそらくどうでもいい、少しミステリアスで、少しスパイシな話だ。
話し終わった時に、又、君がここに来ないこと。
それが『僕』からの条件だよ。
では、始めようか。
『僕』には友達がいた。いた、って過去形なのは御察しの通り。
彼は死んでしまったのだ。
(死んだ、と言う表現は違うかもしれないが、兎にも角にも彼は『僕』の前から居なくなったのだ。)
彼と『僕』は同じような生活をしていた。
『杜』の中に在る、小さな立方体の、味気ない(真っ白なんだぜ?)部屋に住み、本を読んでいた。
『やぁ。』
『僕』が言うと、彼も同じように手をあげる。
彼が読んでいるのは、“STREOGRAM”と素っ気無いタイトルの本。
『僕』が読んでいるのは、“同位相の連続上に見える物体”という本だった。
どちらもあどけなくて、それでいて冷たいものだった。
彼は、いつも『僕』が部屋に戻ると、同じ部屋にいた。
仕草は『僕』にそっくりで、だけれど、より妖しくより洗練されて見えた。
『お前、どうしていつもここにいるんだ?』
聞いても、彼は答えない。
彼は無愛想だからだ。
それでいて、いつも『僕』の部屋に居座っている。
おかしな奴だった。
『僕』は『杜』の外へ行き、散歩中に心地よく眠り(暇を持て余して眠るよりも、より快適なんだ)壊れかけた足を動かして家路につく。
そうすると、彼がいつも家にいる。
その繰り返しだった。
あれは、いつのことだっただろう。
多分、寒かった気がするから、冬だったに違いない。
とにもかくにも、『僕』にとっては寒い日だった。
『僕』が戻った時には、彼はなにか箱を弄んでいた。
『なんだよ、それは。』
『僕』が聞くと、彼は静かに微笑みながらその箱を差し出した。
そうして、上を見上げた。
『なにかあるのか。』
『僕』が聞いても、彼は上を見上げ続けるだけ。
それから、ポツリと『僕』に聞いた。
『さて、キミ。私達は何処に生きているのだと思いますか?』
『そりゃあ、現在さ。決まっているじゃないか。ここだよ。』
彼はふ、と息を押し出すようにして笑う。
そうして、すこし箱を指し示した。
『僕』は仕方なく、その箱を覗き込んだ。
『僕』らが、いた。
彼は上を見上げ、『僕』は何かを覗き込んでいる。
その手には、今の『僕』と同じように箱が握られていた。
『―ほら。驚くと思いました。』
彼が言った。その声は、冷たくもあり、遠くもあり、そして儚くもあった。
『僕』も上を見上げた。
すると、誰かの巨大な指が見えた。
それも、『僕』の指だった。
『さて、キミ。私達は何処に生きているのだと思いますか?』
彼が、『僕』に聞いた。
『僕』はもう、答えられない。
『さて、キミ。私達は何処に生きているのだと思いますか?』
彼は二度、繰り返した。
『僕』は首を振った。
『私達は、生きていると錯覚しているだけなのでしょうね。』
彼は短く言った。
歌うようでもあり、浚うようでもあった。
『私達は、何処にいるのでしょうね。』
『ここだよ! 決まっているじゃあないか。』
『僕』は叫んだ。
だが、その声は箱の外からも、中からも聞こえ、綺麗に同時に止んでいった。
彼は『僕』を哀れそうに見つめながら、『僕』の手から箱を受け取った。
『これが真実の一部なのですよ、キミ。』
彼はその箱を再び弄んだ。
何故か、『僕』は眩暈がした。
その箱と一緒に、『僕』の世界が揺れ動いてるような、眩暈に陥った。
『世界が真実だと、誰が思ったのでしょう?』
彼は言った。
『世界を、キミは本当に見たことがありますか?
見たとして、キミの脳の錯覚じゃないと誰が保障できますか?』
『僕』は彼に視線を向けた。
我ながら、多分、情けない顔だったのだろうと思う。
『……確かに。だが、みんな同じ錯覚をしているのはおかしいじゃあないか。』
『僕』は苦し紛れに言った。それは自分の事ながら、正論に聞こえた。
だが、彼はその存在感が希薄な表情で嘲笑うだけだ。
『“みんなと同じ”なら、それは真実なのかな、キミ? それこそ本当に理不尽な話ですよ。』
彼の声は次第に遠くなり、『僕』は彼を見上げた。
彼の笑い声が、二重にも三重にも増えた。
柔らかい声が、球面の外側からも内側からも降り注ぎ、『僕』の耳に祝福を与えた。
『そう、それが呪いですよ。』
彼は箱の中の『僕』に言った。
『僕』が見上げると、箱の外の彼はにこりと笑った。
彼は大きすぎて、『僕』には恐ろしい風にしか映らなかった。
『そう、それが呪いですよ。』
彼は繰り返した。
『誰かと一緒なら、安心だとする情報。
青は安全だと言う錯覚。
全ては、そういう呪いでできているのですよ。』
彼の声はエコーがかかったように聞こえにくくなっていた。
『僕』は自分の横にいる彼を見る。
彼は、その手に月骨のナイフを握り、箱と見比べて笑っていた。
『国家レヴェルで、世界レヴェルで、そしてヒトの歴史レヴェルで、キミ達の脳を惑わそうとする。
それが、この呪いということですよ。』
彼は『僕』に向かって言うと、そのナイフをピタリと頭の横に当てた。
『つまり、洗脳。キミ達の脳は常に何者かに侵されているのです。
真実がこの箱だとは、誰が信じると思いますか?』
彼は笑った。
ゆっくりと、その洗脳を溶かすように、柔らかく笑った。
箱の外の音が、波のように伝わっては消えた。
箱の中の音も、伝わる前に形も無く終わった。
彼は『僕』に箱を向けた。
『つまり、世界とは、『杜』とはこの箱のようなものなのですよ。
何重にも為っていて、誰もその何処に居るかわからない。迷宮なのです。』
箱の中の彼も、『僕』に箱を突きつけ、その中の彼も『僕』に箱をつきつけ……
『僕』は上を見上げた。
上を見上げている『僕』が見えた。
『僕』は上に手を伸ばす。
『駄目ですよ。捕まりはしない。
どのキミも同じ行動を取りつづける。
決して、お互いに触れ合うことは不可能。
それが真実の本質なのですよ。』
彼は『僕』を嘲笑った。
そうしてから、『僕』に歩み寄った。
『キミは何を見ていますか?』
『僕』は答えられなかった。
『キミは何処にいるのですか?』
『僕』は答えられなかった。
『キミは本当に……』
『僕』は耳を塞ぎにかかった。彼は『僕』の手をしなやかに掴み、こう言った。
『存在していますか?』
『僕』は答えられなかった。
彼は『僕』にナイフを握らせた。
優しくて、冷たい手だった。
『僕』は箱の中の『僕』らに僅かに目を走らせた。
『僕』に見えたのは、『僕』の後ろ姿だけだった。
彼は『僕』を試すように言った。
『存在と言うのは、ヒトと言うのは、曖昧なものなのですよ。
触ったという感覚、話したという感覚、それらは全て洗脳された脳が判断している事ですからね。』
『僕』は何が何だか分からなくて、
『キミには、作られた時から、確かなものなど何も無かったのですよ。』
彼の存在が堪えられなく憎くて、『僕』は……
箱を掴み、その中の彼を突き刺した。
彼の血が『僕』にかかったのは、何故だったのだろう。
しかし、確かに彼は『僕』を見ていた。
ナイフの先に小さく付いてきた箱の中の彼。
彼は『僕』を見て、哀れそうに言ったのだ。
『さて、キミ。キミは何処に生きているのだと思いますか?』
◆ AFTER WORDS ◆
『DIE OR LIVE ?』
YOU WILL FIND IT IMPOSSIBLE.
IT IS NOT SO EASY.
DON'T THINK.
DON'T DEPEND.
AND YOU WILL SEE ……
文:文月様 2002/02/22
「SHRINE」
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